生存者バイアスの定番になっている「赤い点だらけの爆撃機」の図は、2016年にネット上で描かれた仮想の絵です。ウォールドが1943年に書いたのは、8本の数式だらけのメモでした。
赤い点がびっしり打たれた爆撃機の図を、たぶん見たことがあると思います。翼と胴体は点だらけ、エンジンとコックピットは真っ白。添えられているのは「軍は点の多い場所を補強しようとしたが、統計学者は逆だと言った。帰ってこなかった機体は、白い場所を撃たれたのだ」という話です。
この話の骨格は正しい。ただ、あの絵自体は1943年の資料ではありません。
1943年に実際に書かれたもの
アブラハム・ウォールドは、ハンガリー領トランシルヴァニア生まれの統計学者です。第二次世界大戦中はコロンビア大学の統計研究グループ(SRG)にいました。軍から来た問いは、装甲をどこに貼るか。装甲は重く、貼るほど航続距離と積載量が削られるので、闇雲に増やすわけにはいきません。しかも手元にあるのは、帰還した機体の損傷記録だけです。
ウォールドが1943年に書いたのは「生還機の損傷にもとづく機体脆弱性の推定法」と題した8本の連作メモでした。中身は会話でも図解でもなく、部位ごとに「そこを撃たれた機体が落ちる確率」を生還機のデータだけから逆算するための数式です。落ちた機体のデータは手に入らない。ならば、生還機に残った穴の分布そのものを、失われた分布を推定する材料に使う——そういう組み立てです。
メモは機密扱いのまま戦後も表に出ず、公開されたのは1980年、海軍分析センターによる復刻でした。1984年にマーク・マンゲルとフランシスコ・サマニエゴが『Journal of the American Statistical Association』で紹介し、統計学の外にも知られていきます。
なお、この手法は「被弾は機体の各部にだいたい一様に散らばる」という前提を置いています。実際には迎撃側は狙って撃つので、前提はきれいには成り立ちません。有名になった結論のわりに、土台は当時の条件つきの近似です。
絵と会話は、後から足されたもの
あの図の出どころは、はっきりしています。2016年11月、Wikipediaの編集者がある記事の挿絵として「仮想の被弾分布」と明記したうえで作ったものです。下敷きは2005年ごろ、あるデザイナーがプレゼン用に機体の輪郭へ赤い点を打った図でした。本人も後から、機種の選び方も点の位置も適当だったと認めています。
しかも皮肉なことに、点が集中しているあたり——内側エンジンのあいだの燃料・オイル系統は、当時のドイツ側が「最も脆弱」と見ていた場所です。史実に照らすと、白く空けておくべきところに点が打たれている。
「将校が穴の多い場所を指さし、ウォールドが首を振った」という会話仕立ての語りも、メモに記録されたものではありません。この形で広まったのは、2014年の一般向け数学書『How Not to Be Wrong』(ジョーダン・エレンバーグ)以降と言われています。
要点そのものは間違っていません。ただ、「1943年の実物」として流通しているものの中身は、絵も台詞も21世紀に足されたものです。
43社を選んだ本の、2年後
生存者バイアスがいちばん身近に効いているのは、たぶん成功本の棚です。
1982年、トム・ピーターズとロバート・ウォーターマンは『エクセレント・カンパニー』で43社を選び、その共通点を8つの原則にまとめました。世界的なベストセラーになります。2年後の1984年11月5日、『ビジネスウィーク』誌は表紙に「Oops!(おっと)」と刷り、「では、いま優良企業なのはどこだ?」と問い直しました。43社のうち3分の2が市場平均を下回る業績に落ちていたと報じられています。
問題は、8つの原則が間違っていたことよりも選び方にあります。うまくいった会社を先に集めて共通点を数えても、同じことをして消えた会社は最初から標本に入っていません。2007年、フィル・ローゼンツワイグは『なぜビジネス書は間違うのか』で、業績が良い会社は社風も戦略も後から良く評価されてしまうと指摘しました。ハロー効果の記事で扱ったのと同じ仕組みが、企業分析の側でも働いているという話です。
だから成功者の話を聞くときの問いは、「何をしたか」より「同じことをして、いまここにいない人は何人いるか」になります。たいてい、その数は誰も数えていません。ウォールドが数式で埋めようとしたのは、まさにその空白でした。
参考にした資料
- Wald, A. (1943) A Method of Estimating Plane Vulnerability Based on Damage of Survivors(コロンビア大学 統計研究グループ)。1980年に海軍分析センター(CNA)が復刻・公開
- Mangel, M. & Samaniego, F. J. (1984) "Abraham Wald's Work on Aircraft Survivability", Journal of the American Statistical Association, 79(386)
- Wikimedia Commons "File:Survivorship-bias.png"(2016年11月アップロード、「仮想の被弾分布」と明記)
- Ellenberg, J. (2014) How Not to Be Wrong(邦訳『データを正しく見るための数学的思考』)
- Peters, T. & Waterman, R. (1982) In Search of Excellence(邦訳『エクセレント・カンパニー』)/ BusinessWeek 1984年11月5日号 "Oops! Who's Excellent Now?"
- Rosenzweig, P. (2007) The Halo Effect(邦訳『なぜビジネス書は間違うのか』)