数分前にたまたま配られただけのマグカップでも、手放す値段は「買うならこの値段」の2倍を超えた。ただ、この差がどこまで人間の本性なのかは、いまも経済学者のあいだで決着していません。

コーネル大学の書店で6ドルで売られていた、大学のロゴ入りマグカップ。行動経済学でいちばん有名な食器かもしれません。

1990年、ダニエル・カーネマン、ジャック・ネッチ、リチャード・セイラーの3人は、このマグカップを使った実験の結果を『ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー』に発表しました。法と経済学の授業に出ていた44人の学生のうち、1席おきの22人にマグカップを配る。残りの22人には配らない。そのうえで、持っている人は「いくらなら売るか」、持っていない人は「いくらなら買うか」を紙に書き、その場で売買の市場を開きます。

22個のうち、動いたのは1〜4個

マグカップはくじ引きのように配っただけなので、欲しい人と欲しくない人は両方のグループに同じくらいいるはずです。だとすれば、欲しくない持ち主から欲しい非持ち主へ、だいたい半分の11個くらいは持ち主が変わる。これが標準的な経済学の予想でした。

実際に4回くり返した市場での取引数は、4個、1個、2個、2個。売り手の値段の中央値は毎回5.25ドルで、買い手は2.25〜2.75ドル。回を重ねても差は縮まりませんでした。ちなみに同じ手順で「換金できるだけの札」を売り買いさせた回では、取引はほぼ予想どおりに成立しています。ルールを誤解していたせいではない、と著者たちは考えました(ここが後で争点になります)。

別の論文では、ネッチが1989年に交換の形でも試しています。マグカップをもらった学生に「同じくらいの値段のチョコレートと取り替えてもいいですよ」と言うと、89%がマグカップを手放しませんでした。チョコレートを先にもらった学生では、90%がチョコレートのまま。どちらを先に渡されたかで、好みがひっくり返ったように見えます。

渋っていたのは「買う側」ではなかった

2倍の差と聞くと、買う側がケチなだけでは、とも考えられます。同じ1990年の論文には、そこを切り分けた実験が入っています。

サイモン・フレーザー大学の学生77人を、マグカップを持っている「売り手」、持っていない「買い手」、そして「選び手」の3グループに分けました。選び手はマグカップを持っていませんが、お金を払う必要もなく、各金額について「マグカップをもらうか、その金額の現金をもらうか」を選ぶだけです。

中央値は、売り手が7.12ドル、選び手が3.12ドル、買い手が2.87ドル。選び手と買い手がほとんど同じで、売り手だけが飛び抜けていました。売り手と選び手は「マグカップで終わるか、現金で終わるか」という点では、まったく同じ選択をしています。違うのは、いまマグカップが手の中にあるかどうかだけです。ずれを生んでいたのは払うことへの抵抗ではなく、手放すことへの抵抗だった、というのが著者たちの読み方でした。

「実験のやり方のせいでは」という反論

この話にはきれいな続きがありません。2005年、チャールズ・プロットとキャスリン・ゼイラーは、ネッチの論文と同じ『アメリカン・エコノミック・レビュー』誌で強い反論を出しました。値付けの仕組みを練習問題で十分に理解させ、周りに見られない形で答えてもらうと、マグカップの売り値と買い値の差は消えた、というのです。3つの実験を合わせた74人では、むしろ買い値のほうがわずかに高く出ていました(統計的に意味のある差ではありません)。

ところが話はそこで終わりません。2011年にはイソーニ、ルームズ、サグデンが両方の手順を条件をそろえて比べ、どちらの手順でもマグカップの差がはっきり出なかったと報告しました。つまり差を消したのは「練習」ではなく、別の何かだったかもしれない。さらに2015年には、ドイツの研究者フェールらが「プロットとゼイラーの追試に失敗した」という題の論文を出し、練習問題で一度もおかしな選択をしなかった人たちのあいだでも差は残っていた、としています。

もうひとつ、別の方向からの結果もあります。ジョン・リストは2003年、スポーツカードやピンバッジの即売会で交換の実験をしました。取引の経験が浅い来場者はネッチの実験と同じように交換を渋りましたが、経験を積んだ人ほど渋らなくなり、プロのディーラーでは偏りが見られませんでした。翌年にはカードの会場でマグカップとチョコレートを使っても、同じ傾向が出ています。

「自分の物を高く見積もる傾向」は、少なくとも条件によっては確かに出る。ただ、実験の手順にかなり敏感で、慣れた人では消えることもある。30年以上の議論を正直にまとめると、いまのところはこのあたりになりそうです。

フリマアプリで自分の出品にだけ強気の値段をつけてしまうとき、「いま持っていなかったら、この値段で買うだろうか」と考え直す方法がよく勧められます。選び手の立場に自分を置き直す問いだと思えば、たしかに理にかなっているように見えます。

参考にした資料

  • Kahneman, D., Knetsch, J. L., & Thaler, R. H. (1990). Experimental Tests of the Endowment Effect and the Coase Theorem. Journal of Political Economy, 98(6), 1325–1348.
  • Knetsch, J. L. (1989). The Endowment Effect and Evidence of Nonreversible Indifference Curves. American Economic Review, 79(5), 1277–1284.
  • Plott, C. R., & Zeiler, K. (2005). The Willingness to Pay–Willingness to Accept Gap, the "Endowment Effect," Subject Misconceptions, and Experimental Procedures for Eliciting Valuations. American Economic Review, 95(3), 530–545.
  • Isoni, A., Loomes, G., & Sugden, R. (2011). The Willingness to Pay—Willingness to Accept Gap, the "Endowment Effect," Subject Misconceptions, and Experimental Procedures for Eliciting Valuations: Comment. American Economic Review, 101(2), 991–1011.
  • Fehr, D., Hakimov, R., & Kübler, D. (2015). The willingness to pay–willingness to accept gap: A failed replication of Plott and Zeiler. European Economic Review, 78, 120–128.
  • List, J. A. (2003). Does Market Experience Eliminate Market Anomalies? Quarterly Journal of Economics, 118(1), 41–71.
  • Ericson, K. M. M., & Fuster, A. (2014). The Endowment Effect. Annual Review of Economics, 6, 555–579.(NBER Working Paper 19384)