ドアをくぐると、直前まで抱えていた用事が出てこなくなる。同じ距離を歩いても、ドアを通らなければ平気——2011年の実験はそう報告しました。ただし2021年の追試では、4つの実験のうち3つでこの効果は現れませんでした。

ノートルダム大学の実験室には、靴の空き箱が用意されていました。参加者に机から机へ物を運んでもらう実験で、運んでいる最中に中身が見えているとカンニングになってしまうからです。箱に入れて運ばせ、途中で「いま何を持っていますか」と抜き打ちで尋ねる。答えられるかどうかを、部屋を移ったときと移らなかったときで比べる。

装置としては、ずいぶん地味です。それでもこの設定から「ドアウェイ効果」という名前が世界中に広まりました。

距離ではなく、ドアが効いている

出発点は2006年、ガブリエル・ラドバンスキーとデイヴィッド・コープランドが『Memory & Cognition』に発表した研究です。パソコンの中の仮想的な部屋で、机の上の物を拾って別の机へ置く。次の机は、あるときは同じ部屋の中にあり、あるときはドアの向こうの部屋にあります。歩く距離はそろえてあります。

結果は、ドアをくぐった直後に成績が落ちる、というものでした。研究チームはこれを「位置更新効果(location updating effect)」と呼んでいます。手に持っている物より机に置いてきた物のほうが思い出しにくいこと、そして部屋を移ったときは、いま自分が持っているはずの物の記憶がとくに影響を受けることも、あわせて報告されました。

2011年には、ラドバンスキー、サビーネ・クラウィッツ、アンドレア・タンプリンの三人が『Quarterly Journal of Experimental Psychology』で実験を三つ重ねています。画面を小さくして没入感を下げても効果は残り、パソコンをやめて本物の部屋と本物の物でやっても残りました。冒頭の靴箱は、この現実版の実験の小道具です。

元の部屋に戻っても、戻らない

三つ目の実験が、いちばん意外でした。

記憶の研究には「符号化特定性原理」という有名な考えがあります。覚えたときと同じ状況に身を置けば思い出しやすくなる——勉強したのと同じ席で試験を受けると有利、といった話の元になっている原理です。これに従うなら、ドアをくぐって隣の部屋へ行った人が、もう一枚ドアを通って元の部屋に帰ってくれば、記憶は戻るはずです。

戻りませんでした。元の部屋に帰っても成績は上がらない。ここから研究チームは、これは「場所が変わったから思い出せない」のではないと考えました。脳はドアを一区切りとみなして、直前の場面をひとまとまりにして畳んでしまう。彼らの言い方では「イベント境界」であり、その説明の枠組みが「イベント・ホライズン・モデル」です。いったん畳まれた場面は、同じ部屋に戻ったくらいでは勝手に開き直ってくれません。

境界は物理的である必要すらないようで、2016年にザッカリー・ローレンスとダニエル・ピーターソンが『Memory』誌で、頭の中でドアをくぐるところを想像させただけでも忘れが増えたと報告しています。

2021年、ドアは効かなかった

ここまでが、雑学としてよく紹介される話です。

2021年、ジェシカ・マクファイエンらのチーム(オーストラリアのボンド大学ほか)が『BMC Psychology』に出した論文のタイトルは、そっけないものでした。「ドアは必ずしも忘却を引き起こさない」。彼らは四つの実験でこの現象を追いかけています。

  • VRヘッドセットで部屋を移動(29人)——効果なし。全体に成績が良すぎて差が出にくい状態でもありました
  • 同じVRに、数を数える課題を重ねて頭を忙しくさせる(45人)——ここでだけ効果が出ました
  • 映像で移動を見せる条件(26人)——効果なし
  • 本物の部屋を自分の足で歩く条件(26人)——効果なし

しかも、効果が出た二番目にしても、中身は世間の想像とは違いました。正解率そのものが落ちたのではなく、「さっき見ていない物を見た」と答えてしまう誤りが増えたのです。記憶が消えたというより、境界をまたいだ記憶が混ざりやすくなった、という形でした。

2024年には、コペンハーゲン大学のトーマス・ファン・ヘメルトらがVRで二つの実験を行い、ドアの有無、歩いて移動するかテレポートするか、ドアの見た目を扉から異世界めいたポータルまで五種類に変えるか、どれをいじっても物体の認識成績に差は出なかったと報告しました。

つまり現在の見立ては、「ドアをくぐると必ず忘れる」ではなく、「頭に負荷がかかっているときに境界をまたぐと、記憶が不安定になりやすいことがある」あたりに落ち着きつつあります。もっとも、日常でキッチンへ向かうときの私たちは、たいてい何か別のことを考えています。負荷がかかっているとき限定という条件は、実験室で思うほど狭くないのかもしれません。

区切りは、失うだけではない

もうひとつ、最近になって出てきた話があります。

2025年、ラドバンスキーらのグループは『Memory & Cognition』で、部屋を分けて単語を覚えると記憶がよくなるかを試しました。結果は、境界のあたりの単語では多少よくなるものの、そのあと別の部屋をいくつか通って時間が空くと消えてしまう、というものでした。ドアを暗記テクニックとして使うのは、どうやら難しそうです。

ただし同じ年、彼らは別の報告もしています。文章を読む作業をいくつかの場面に区切ると、字面や文そのものの記憶は落ちる一方で、内容の理解——書かれていた状況を頭の中に組み立てる部分——はむしろよくなった、というものです。

だとすると、ドアをくぐって「あれ」となるのは、脳の不具合というより仕様の裏側ということになります。区切って畳むから、前の場面の細部は取り出しにくい。けれど区切って畳むから、話の筋のほうは残る。

対策としてよく言われるのは、用事を声に出す、メモに書く、といったことです。地味ですが、要するに場面が切り替わっても消えない形に用事を置き換えておく、という話ではあります。ドアの前で立ち尽くしてしまったときは、記憶力を疑うより、直前に自分が何を考えていたかを思い出すほうが早いかもしれません。

参考にした資料

  • Radvansky, G. A., & Copeland, D. E. (2006)「Walking through doorways causes forgetting: Situation models and experienced space」Memory & Cognition 34(5), 1150–1156
  • Radvansky, G. A., Krawietz, S. A., & Tamplin, A. K. (2011)「Walking through doorways causes forgetting: Further explorations」The Quarterly Journal of Experimental Psychology 64(8), 1632–1645
  • Lawrence, Z., & Peterson, D. (2016)「Mentally walking through doorways causes forgetting: The location updating effect and imagination」Memory 24(1)
  • McFadyen, J., Nolan, C., Pinocy, E., Buteri, D., & Baumann, O. (2021)「Doorways do not always cause forgetting: a multimodal investigation」BMC Psychology 9:41
  • van Gemert, T., Kalaitzoglou, I., Chew, S., & Bergström, J. (2024)「Doorways Do Not Always Cause Forgetting: Studying the Effect of Locomotion Technique and Doorway Visualization in Virtual Reality」Proceedings of the 2024 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems
  • Crockett, N. A., Parra, D., Doolen, A. C., & Radvansky, G. A. (2025)「Walking through doorways helps remembering, but not for long」Memory & Cognition
  • Crockett, N. A., Parra, D., Doolen, A. C., & Radvansky, G. A. (2025)「Walking through doorways causes forgetting: But it may help understanding」Current Research in Behavioral Sciences
  • Scientific American「Why Walking through a Doorway Makes You Forget」/ 英国心理学会 Research Digest