匿名になると人は自制を失う、と長く考えられてきました。ただ実験を並べると、匿名が強めるのは攻撃性そのものより「その場の空気に合わせる傾向」のほうらしい、という見方が有力になっています。
ハロウィンの夜、仮装した子どもたちが玄関のチャイムを鳴らします。出てきた女性は「お菓子はひとり1個ずつね」と言い、用事があるからと奥へ引っ込みます。テーブルにはお菓子の入ったボウルと、小銭の入ったボウル。周りに大人はいません。
1976年、心理学者エド・ディーナーらはこの場面を何度も繰り返し、隠れた場所から1,300人を超える子どもを観察しました。条件はふたつ。女性が子どもに名前と住所を聞いておくかどうか、そして子どもがひとりで来たか、友だちと連れ立って来たかです。
名前を聞かれなかった子どもたち
結果ははっきり分かれました。名前を聞かれず、しかも集団で来た子どもは、およそ57%が決まりより多くお菓子を取るか、お金に手を出しました。名前を聞かれ、ひとりで来た子どもでは8%ほどです。仮装で顔が隠れていて、誰だかわからない。そこに仲間がいる。それだけで、ずるをする割合が7倍前後に跳ね上がったことになります。
この現象は「没個性化(deindividuation)」と呼ばれます。集団に紛れ、自分が誰なのかが見えにくくなると、ふだん自分の行動を見張っている目が弱まり、抑えていたことをやってしまう——そういう説明です。
その前の1969年には、フィリップ・ジンバルドーが実験室で同じことを確かめようとしていました。女子学生にだぶだぶの白衣とフードをかぶせ、名前を呼ばずに番号で扱い、別の人に電気ショックを与える役をさせます(ショックは本物ではありません)。名札をつけて自分の服のまま参加したグループと比べると、フードの側はショックのボタンをおよそ2倍長く押していたと報告されています。
紛争地のデータにも似た傾向があります。北アイルランドで起きた500件の暴力事件を調べた2003年のアンドリュー・シルクの分析では、206件で加害者が覆面などで顔を隠しており、そうした事件のほうが被害者のけがが重く、その場で襲われる人数も多かったといいます。
同じ「顔隠し」でも、ナース服だと逆になる
ここまでなら「匿名は人を荒っぽくする」で話が終わります。話を複雑にしたのが、1979年のロバート・ジョンソンとレスリー・ダウニングの実験です。
参加者は、ジンバルドーの実験と同じく相手にショックを与える役を担います。ただし服装が3通りありました。顔まで覆うKKK(白人至上主義団体)の装束に似た服、ナースの制服、そして自分の服です。KKK風の服を着た人は強いショックを選びました。一方、ナース服の人は、自分の服のグループよりもむしろ弱いショックを選んだと報告されています。
ジンバルドーの白衣とフードも、見ようによっては不穏な装いです。だとすれば、攻撃を強めていたのは「誰だかわからないこと」ではなく、服が伝える「この場ではこうふるまうもの」という合図のほうだったのかもしれません。
匿名は、空気への感度を上げる
1998年、トム・ポストメスとラッセル・スピアーズは、没個性化を扱ったそれまでの研究をまとめてメタ分析しました。結論は、「匿名だと社会の決まりを破るようになる」という古典的な見方を、データはあまり支持しないというものでした。目立っていたのはむしろ、匿名の人がその場の集団の規範に合わせて動く傾向です。
この見方は「SIDEモデル(没個性化効果の社会的アイデンティティ・モデル)」と呼ばれます。匿名になると、自分という個人の輪郭が薄れ、かわりに「いま自分が属している集団」の色が濃くなる。集団が攻撃的なら攻撃的に、親切なら親切に寄っていく、という考え方です。
ハロウィンの実験も、こう読み直せます。仲間と一緒で、誰にも名前を知られていない子どもは、自分の良心より、その場の仲間のノリに従いやすかった。ネットの炎上で匿名アカウントが一斉に同じ方向を向くのも、「匿名だから凶暴」というより、そこにできあがった空気に寄っていく動きとして見るほうが近いのかもしれません。
もっとも、このモデルにも批判はあります。どの集団の規範が効いたのかを結果から後づけで説明できてしまう、実験の多くがその場かぎりで組まれた短命のグループで行われている、といった指摘です。ジンバルドーの1969年の実験も、各条件の人数が少なかったことが知られています。
それでも、ナース服の結果がくれる示唆は小さくありません。匿名の場をおだやかにしたいなら、名前を出させることだけが手ではない。最初にどんな空気をつくっておくかが、思った以上に効いてくるようです。
参考にした資料
- Zimbardo, P. G. (1969)「The human choice: Individuation, reason, and order versus deindividuation, impulse, and chaos」Nebraska Symposium on Motivation, 17
- Diener, E., Fraser, S. C., Beaman, A. L., & Kelem, R. T. (1976)「Effects of deindividuation variables on stealing among Halloween trick-or-treaters」Journal of Personality and Social Psychology, 33(2), 178–183
- Johnson, R. D., & Downing, L. L. (1979)「Deindividuation and valence of cues: Effects on prosocial and antisocial behavior」Journal of Personality and Social Psychology, 37(9)
- Postmes, T., & Spears, R. (1998)「Deindividuation and antinormative behavior: A meta-analysis」Psychological Bulletin, 123(3), 238–259
- Silke, A. (2003)「Deindividuation, anonymity, and violence: Findings from Northern Ireland」The Journal of Social Psychology, 143(4), 493–499
- Reicher, S. D., Spears, R., & Postmes, T. (1995)「A social identity model of deindividuation phenomena」European Review of Social Psychology, 6
- Psychology Today「Why Halloween Makes Us Act Antisocial」(2014)、Simply Psychology「Deindividuation in Psychology」