同じ「ベーカー」という語を、職業として教わった人は思い出せて、名字として教わった人は思い出せない。1987年の実験で確かめられた現象です。ただし2018年には、「顔は覚えているのに名前が出てこない」という前提のほうが測り方の錯覚ではないか、という報告も出ています。

英語圏の名字には、もとをたどると職業だったものがたくさんあります。ベーカー(パン焼き)、スミス(鍛冶)、クック(料理人)、テイラー(仕立て屋)。日本語でいえば服部や鍛冶に近い成り立ちです。そして現代のベーカーさんは、たいていパンを焼いていません。名字になった時点で、その語は職業としての意味を失っています。

おもしろいのは、この「意味を失った」が比喩ではなく、実験で測れる形になっていることです。

同じ単語を、職業として教わるか、名字として教わるか

1987年、イギリスの心理学者マクウィーニー、ヤング、ヘイ、エリスの4人は、参加者に16人分の見知らぬ顔写真を見せ、それぞれの職業と名字を覚えてもらう実験を『British Journal of Psychology』に報告しました。

工夫されていたのは条件の揃え方です。前後の文脈が手がかりにならないようにし、職業と名字が出てくる回数まで同じにしたうえで、「ベーカー」のように職業にも名字にも使える単語を混ぜてあります。同じ顔、同じ語、同じ回数。違うのは、それを職業として教わったか、名字として教わったかだけ。

結果は、名字のほうがはっきり思い出しにくいというものでした。論文の中の一文がそのまま名前になっています。ある人の名字がベーカーだと思い出すのは、ある人がパン屋だと思い出すよりずっと難しい——のちにギリアン・コーエンがこれを「ベーカー/ベーカー・パラドックス」と呼びました。

コーエン自身も1990年に、12人分の顔写真で追試をしています。名前・職業・持ち物の3種類を覚えてもらったところ、名前の成績は、意味を持たない造語の持ち物(架空の商品名のようなもの)と同程度でした。意味のある職業や持ち物より、はっきり劣っていた。さらに続く実験で、名前のほうを意味のある語にして職業のほうを無意味な語にすると、名前が不利という差は消えました。

つまり不利なのは「名前」という種類ではなく、「意味の網につながっていないこと」のほうだった、という筋書きになります。

「意味がないから」で決着してはいない

ただ、この説明で全員が納得したわけではありません。

1993年、ティム・ブレネンは別の見方を出しています。名前が思い出しにくいのは、名前としてありうる音の並びが広すぎるからだ、という説です。職業なら、ベーカーで始まってそれらしく終わる語はほぼ他にありません。しかし名字なら、ベイラーでもベイマーでも成立してしまう。候補が絞れないぶん、音を取り出す作業そのものが重い。「意味がないから」ではなく「音の選択肢が多すぎるから」という説明です。

1992年にはマイク・バートンとヴィッキー・ブルースが、また別の理屈をコンピュータ上のモデルで示しました。職業や出身地は複数の人が共有しますが、名前はその人ひとりにしか結びつきません。ネットワークの中で複数方向から活性化を受け取れない情報は、それだけで取り出しにくくなる。名前専用の特別な記憶の引き出しを仮定しなくても、この構造だけで説明がつく、というものでした。

1990年代半ばには、どのモデルが正しいかをめぐって同じ雑誌の上で反論と再反論が続きました。決着はついていません。現象そのものは繰り返し確認されているのに、理由の説明は複数残ったまま、というのが正確なところです。

そもそも、顔のほうを覚えているのか

もっと根本的な疑いを出したのが、2018年にヨーク大学のマイク・バートン、ロブ・ジェンキンス、デイヴィッド・ロバートソンが『Quarterly Journal of Experimental Psychology』に発表した研究です。

彼らが指摘したのは、日常の「顔は覚えているのに名前が出てこない」という体験が、比べ方として不公平だということでした。顔に対して求めているのは「見たことがあるかどうか」の再認です。名前に対して求めているのは、何もない状態から音を引き出す再生です。難易度の違うテストを並べて、名前のほうが弱いと結論している。

そこで3つの実験で、顔と名前を同じ再認の形式に揃えました。結果は逆転します。初対面の顔を見分けられたのは、同じ写真を使った場合で73%、別の写真に変えると64%。同じ手続きで名前を見分けられたのは83〜85%でした。

ジェンキンスは、この錯覚に気づかない理由をこう説明しています。名前を忘れたことに気づけるのは、顔がわかったあとだけだ、と。名前は知っているのに顔がわからない状況は、そもそも本人に自覚されません。

覚えたい名前があるとき

昔から言われる対策は、名前を意味やエピソードにつなぐことです。「丸い眼鏡の田中さん」というふうに、単独の記号を何かの網に引っかける。コーエンの説明が正しければ理にかなっていますし、ブレネンの説でも、音の候補を絞る手がかりが増えるぶん損はありません。

ただ、名前が出てこないことを記憶力の衰えとして重く受け止める必要はなさそうです。少なくとも一部は、名前という情報が構造的に不利なだけ。しかもその不利は、私たちが思っているほど一方的ではないようです。

参考にした資料

  • McWeeny, K. H., Young, A. W., Hay, D. C., & Ellis, A. W. (1987) "Putting names to faces", British Journal of Psychology
  • Cohen, G. (1990) "Why is it difficult to put names to faces?", British Journal of Psychology, 81, 287–297
  • Brennen, T. (1993) "The difficulty with recalling people's names: The plausible phonology hypothesis", Memory, 1(4)
  • Burton, A. M., & Bruce, V. (1992) "I recognize your face but I can't remember your name: A simple explanation?", British Journal of Psychology
  • Bruce, V. et al. (1994) "Testing the models? New data and commentary on Stanhope & Cohen (1993)", British Journal of Psychology
  • Burton, A. M., Jenkins, R., & Robertson, D. J. (2018) "I recognise your name but I can't remember your face: An advantage for names in recognition memory", Quarterly Journal of Experimental Psychology
  • ヨーク大学プレスリリース(2018年11月)、ScienceDaily