変えたほうが得でも、人は「今のまま」を選びがちです。本気で迷っている人がコインの表に背中を押されて変えたところ、半年後に満足していたのは変えた側でした。
夜中、仕事を辞めるかどうかで何週間も迷っている人が、あるウェブサイトを開きます。悩みごとを入力してボタンを押すと、画面の中でコインが回る。表なら「変える」、裏なら「今のまま」。
冗談のような話ですが、これは経済学者のスティーヴン・レヴィット(『ヤバい経済学』の著者)が実際に行った研究です。2013年ごろから約1年、サイトで投げられたコインは2万回を超えました。結果は2021年に経済学の専門誌 Review of Economic Studies に載っています。オチは後に回して、まずは「今のまま」がなぜこんなに強いのかから見ていきます。
1988年、「現状」という名の見えない選択肢
「現状維持バイアス」という言葉を広めたのは、ウィリアム・サミュエルソンとリチャード・ゼックハウザーの1988年の論文です。
実験の中身はシンプルでした。「大叔父から遺産を相続した。どう運用するか」といった問題を用意し、あるグループには選択肢だけを見せる。別のグループには「遺産の大半はすでにある会社の株になっている」と、ひとつを"今の状態"として書き添える。選択肢の中身は同じです。それでも、今の状態として示された選択肢は、ただ並べられたときよりずっと選ばれやすくなりました。しかも、選択肢が増えるほどこの傾向は強まったといいます。
彼らは教員の医療保険や年金の選び方も調べています。保険料などの条件が有利なプランは新しく入った職員のあいだでシェアを伸ばしていたのに、以前からいる職員はあまり乗り換えていませんでした。好みの違いだけでは説明しにくい差です。
実験室の外でも似た結果があります。1991年、カリフォルニアの電力利用者を調べたハートマンらの研究では、停電が少ない代わりに料金の高い地域と、停電が多い代わりに安い地域の住民に、同じ組み合わせの選択肢を見せました。停電の少ない地域では60.2%が今の条件を選び、停電の多い条件を選んだのは5.7%。逆に停電の多い地域でも58.3%が今の条件を選び、停電の少ない条件を選んだのは5.8%でした。どちらの地域の人も「自分の今の条件がいちばん」と答えたわけです。
手間の問題なのか、心の問題なのか
ここは注意が要るところで、今のままを選ぶこと自体はいつも不合理とは限りません。乗り換えには調べる手間も手数料もかかります。前に一度考えて決めたのなら、それを信じるのはむしろ賢いやり方です。
それでも説明しきれない分が残る、というのがこの分野の見方です。よく挙げられるのが、損を得より重く感じる「損失回避」との関係です。変えて失敗したら自分のせい、変えずに損をしても「何もしなかっただけ」。同じ損でも、動いて生じた損のほうが後悔が大きいと感じやすいのです。
ただし、1988年の実験がいつも同じように再現されるわけではありません。2021年、ギラッド・フェルドマンらのグループがオンラインで約600人を集めて四つの問題を追試したところ、予算の配分や投資、就職先の問題では現状維持の傾向がはっきり出た一方、車の色を選ぶ問題ではほとんど出ませんでした。どうでもいい選択より、重みのある選択で強く出るバイアス、と考えたほうがよさそうです。
コインの表を引いた人たちのその後
レヴィットの実験に戻ります。参加者はコインを投げる前に、結果を確かめてもらう友人や家族を1人登録しました。そして2か月後と6か月後に、本人とその人の両方にアンケートが届きます。
表が出た人は、裏が出た人より変化を実行する割合が約25%高くなりました。コインで決まるのですから、表の人と裏の人はもともと似たような迷い方をしていたはずです。その差を比べると、仕事を辞める・恋人と別れるといった大きな決断では、変えた側のほうが6か月後の幸福度がはっきり高かったといいます。2か月後の時点では「変えても悪くはなっていない」程度でした。
もちろん限界もあります。参加したのは、自分からコイン投げのサイトを探すほど迷っていた人たちで、世の中の平均的な人ではありません。幸福度も自己申告です。「誰でも辞めれば幸せになる」という話ではなく、「本当に五分五分で迷っているなら、人は変えない側に寄りすぎている可能性がある」くらいに受け取るのが妥当でしょう。
スマホのプランや保険のように、変えるのに大した勇気が要らないものなら話はもっと単純です。年に一度、固定費を並べて眺める日を決めておくだけで、「何もしなかった」ことで払い続けている分が見えてきます。
参考にした資料
- Samuelson, W. & Zeckhauser, R. (1988). Status quo bias in decision making. Journal of Risk and Uncertainty, 1, 7–59.
- Hartman, R. S., Doane, M. J. & Woo, C.-K. (1991). Consumer Rationality and the Status Quo. Quarterly Journal of Economics, 106(1), 141–162.
- Kahneman, D., Knetsch, J. L. & Thaler, R. H. (1991). Anomalies: The Endowment Effect, Loss Aversion, and Status Quo Bias. Journal of Economic Perspectives, 5(1), 193–206.
- Xiao, Q., Lam, C. S., Piara, M. & Feldman, G. (2021). Revisiting status quo bias: Replication of Samuelson and Zeckhauser (1988). Meta-Psychology, 5.
- Levitt, S. D. (2021). Heads or Tails: The Impact of a Coin Toss on Major Life Decisions and Subsequent Happiness. Review of Economic Studies, 88(1), 378–405.
- NBER Digest "To Change, or Not to Change? Just Flip a Coin"(2016年10月)
- Wikipedia英語版 "Status quo bias"