指のタッピングで曲を当ててもらう実験で、叩いた側の見込みは平均50%、実際に当たったのは120回のうち3回でした。ただし同じ論文には、叩いてすらいない、曲名を教えられただけの人も50%と答えたという結果が載っています。
机を、指で叩いてみてください。曲は「きらきら星」あたりで。
叩いているあいだ、頭の中では曲が流れているはずです。音の高さも、歌詞も、伸ばすところも。けれど向かいに座っている人に届いているのは、トン、トトン、という乾いた音の連なりだけです。
この落差を実験にしたのが、1990年にスタンフォード大学へ提出されたエリザベス・ニュートンの博士論文でした。指導教員は社会心理学者のリー・ロス。
学生を2人1組、40組に分け、片方を「叩く人」、片方を「聞く人」にします。叩く人に渡されるのは25曲のリスト。愛国歌、クリスマスキャロル、童謡、ポップスやテレビの主題歌。この中から3曲を自分で選びます。2人は背中合わせに座り、叩く人が机を叩き、聞く人は曲名を書く。叩く人は1曲ごとに、いま叩いた曲が相手に伝わった確率を見積もります。
見積もりの平均は50%。いちばん弱気な人でも10%と答えました。
実際に当たったのは、120回のうち3回。2.5%です。この数字は、40人が出した見積もりの範囲の、外側にありました。誰ひとりとして、ここまで伝わらないとは思っていなかったことになります。
叩いていない人も、同じように間違えた
よく紹介されるのはここまでです。論文の面白いところは、その先にあります。
タッピングが終わったあと、実験者が同じ曲を自分で叩いてみせます。そして叩き手と聞き手の両方に同じ質問をします。「これを100人の聴衆に聞かせたら、何人が曲名を当てられると思いますか」。
叩き手の答えは、50%のままでした(中央値52%)。自分の手を離れ、他人が叩くのを外から聞いてもなお、数字は下がらなかったことになります。
同じ質問に対する聞き手側の答えは、中央値0%、平均3%でした。
さらに論文は、まったく別の80人を集めています。叩き手でも聞き手でもない学生に、「これから『エーデルワイス』を叩きます」と曲名を先に伝えてから、実験者が叩いてみせる。240曲ぶんの見積もりの平均は、やはり50%(範囲は2〜98%)でした。
説明する側が下手だから起きる現象ではない、ということです。答えを先に知らされただけで、知らない状態がもう想像できなくなる。
「知らなかった頃」に戻る道がない
この現象に名前がついたのは、実はニュートンの実験より前、経済学の側でした。1989年にコリン・キャメラー、ジョージ・ローウェンスタイン、マーティン・ウェーバーが『Journal of Political Economy』へ出した論文の題が「経済的状況における知識の呪い」。呪いという言い方は、同僚のロビン・ホガースの提案だったそうです。
彼らが調べたのは、内部情報を持つ人が、それを知らない相手の値づけを予測できるかどうか。できませんでした。市場のかたちで取引を繰り返させると呪いは半分ほどまで減りましたが、消えはしませんでした。
すぐ隣にあるのが、バルーク・フィッシュホフが1975年に報告した後知恵バイアスです。結果を知ってしまうと、知らなかった頃の自分の予想さえ、正しく思い出せなくなる。
この実験にも、注記が要る
ニュートンの論文は査読誌に載っていません。未公刊の博士論文のまま、2007年のチップ・ハースとダン・ハース『アイデアのちから』に引かれて有名になり、孫引きが重なるうちに細部が擦り切れています。
たとえば曲。「ハッピーバースデー」と「ジングルベル」で紹介されることが多いのですが、論文の巻末にある25曲のリストには、どちらも入っていません(クリスマス枠は「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」「ホワイト・クリスマス」の3曲です)。
数字も揺れます。結果の節は「120回中3回、2.5%」。ところが要旨は「150曲のうち2曲」、考察は「150曲のうち3曲」と書いていて、論文の中で一致していません。桁が変わるほどの違いではないにせよ、あちこちで断言される「2.5%」は、思われているほど硬い数字ではないわけです。
論文が報告した男女差——叩き手の見積もりは男性が平均56%、女性が44%——も、同じ論文の2つめの実験では出ていません。
現象そのものは別の手法でも確かめられていますが、そちらにも但し書きがつきます。スーザン・バーチとポール・ブルームが2007年に『Psychological Science』で示した「その答えがもっともらしいほど呪いは強くなる」という結果は、レイチェル・リスキンとサラ・ブラウン=シュミットが2014年に7つの実験と大きなサンプルで追試したところ、向きは同じでも効果量が元の半分未満でした。あるにはある、ただし言われてきたより小さい。それが今の見立てです。
正しい数字を持っているのは、いつも知らない側
知識の呪いは、「自分は詳しすぎるかもしれない」と自覚するだけでは、あまり弱まらないと繰り返し指摘されています。キャメラーらの実験では、正確に予測できたら報酬を出すと持ちかけても消えませんでした。頭の中で鳴っている曲を、自力で止めることはできないようです。だとすると、手は一つしかありません。知らない人に、実際にやってもらう。
ニュートンの実験でいちばん正確だったのは、聞き手が出した見積もり(中央値0%)でした。伝わったかどうかを知っているのは、いつも受け取る側です。資料を配る前に、その分野に詳しくない人をひとりだけ捕まえて読んでもらい、読み終わったところで「で、何の話だった?」と聞いてみる。それだけで、自分の頭の中で鳴っている伴奏の音量が測れます。
説明がうまくいかなかったとき、つい相手の理解力を疑いたくなります。でもたぶん、そこで起きていたのは、こちらにだけ音楽が鳴っていた、というだけのことです。
参考にした資料
- Elizabeth Louise Newton『The Rocky Road from Actions to Intentions』1990年、スタンフォード大学心理学部博士論文(未公刊)。審査委員はリー・ロス、マーク・レッパー、ロデリック・クレイマー。本文の数値・曲リストは論文本体から確認しました
- Colin Camerer, George Loewenstein, Martin Weber「The Curse of Knowledge in Economic Settings: An Experimental Analysis」1989年、『Journal of Political Economy』97巻5号
- Susan A. J. Birch, Paul Bloom「The Curse of Knowledge in Reasoning About False Beliefs」2007年、『Psychological Science』
- Rachel Ryskin, Sarah Brown-Schmidt「Do Adults Show a Curse of Knowledge in False-Belief Reasoning? A Robust Estimate of the True Effect Size」2014年、『PLOS ONE』9巻3号
- Baruch Fischhoff「Hindsight ≠ foresight: The effect of outcome knowledge on judgment under uncertainty」1975年、『Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance』1巻3号
- チップ・ハース、ダン・ハース『アイデアのちから』2008年、日経BP社(原題 Made to Stick, 2007年)